三ノ輪付近の荒川区と台東区の区境の謎を古地図を眺めながら考察してみた

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荒川区東日暮里、南千住と台東区根岸、三ノ輪の区境に違和感を覚えました。明治通りというわかりやすいものが区境になっていないのです。「え?こんなところが!」という道が荒川区と台東区の境目になっているのです。今回は古地図を眺めながらその秘密を探ってみましたのでレポートします。

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現在の荒川区と台東区の境を確認

まずは荒川区と台東区の区境の確認をしたいと思います。以下はiPadアプリの東京時層地図からの引用です。

最初に現在の地図に区境を赤いラインで入れてみたものを御覧ください。

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区境が明治通りや日光街道といった大きな通りではなく、それらの通りからちょっと中に入ったところになっています。

明治通りと日光街道が交差する大関横丁交差点の北側が顕著ですかね。例えばこの道。

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右手が荒川区東日暮里で左手が台東区根岸です。この写真の手前にある道を左方向に行くと日光街道です。

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正面の道を挟んで右手が荒川区東日暮里、左手が台東区根岸です。この背後を御覧ください。

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右に沿って左手が荒川区南千住、右手が台東区三ノ輪です。この道が区境なのです。すぐ近くに明治通りがあるにも関わらず。

ここになぜ区境があるのかのヒントが先程の写真を撮影した場所にあります。実はかつて三ノ輪橋があった場所なのです。

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都電荒川線に三ノ輪橋停留場がありますが、それではありません。この三ノ輪橋は本物の橋です。ここに案内板が出ているので確認してみましょう。

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次のような記述があります。

「三ノ輪橋は、石神井川の支流として王子から分流してきた音無川が、現在の日光街道と交差するところに架けられた橋である。

音無川は、日暮里駅前を経て、台東区(根岸)との区境を通り、常磐線ガード手前を右折、その左角は市立池谷小学校(明治三十六年廃校)跡、そして現日光街道を横切り、日本堤の北側を流れて山谷堀にいたるものであった」

そう、ここには音無川という川が流れていたのです。その跡が現在の区境なわけですね。

古地図で音無川の流れを確認

もう一度現在の地図で区境を確認してみましょう。

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それでは古い地図を見ていきましょう。まずはバブル期(1984年から1990年の間)の地図です。

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この地図では川の痕跡はわかりませんね。

次は高度成長前夜(1948年から1960年の間)の地図です。

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ここにもまだ川はありません。が、日光街道に都電が走っていて、現在の東日暮里ふれあい館周辺が車庫になっているのがわかります。

次は昭和戦前期(1928年から1939年の間)の地図です。

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この頃にも川はありません。

次は関東地震直前(1916年から1927年の間)の地図です。

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ここではっきりと音無川の存在が確認できます。明治通りがまだないので、区境が川に沿っているということが明確です。

明治のおわり(1906年から1909年の間)の地図も見てみましょう。

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地図上では見にくいですが、ちゃんと川はあります。

最後は文明開化期(1876年から1886年)です。

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この頃はそもそも道が少ないですね。はっきりと川は描かれていないけど、何となく流路はわかります。

これで大関横丁交差点の北側の荒川区と台東区の区境の謎が解けたわけですが、さらに東側の区境がなぜこうなっているのか不明ですね。

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これも川が区境になっています。今までの地図ではっきりと描かれてはいませんでしたが、音無川の支流の思川がありました。「あしたのジョー」の舞台にもなった泪橋(涙橋)がその川に架かっていました。
古地図で振り返る「あしたのジョー」の舞台になった泪橋 | 荒川区のはなし

泪橋があったところには次のような案内板があります。

DSC_6648c

ここに次のような記述があります。

「思川は南千住三丁目の東南部にあった堀。農業用水として使われていた音無川(石神井川用水)の支流で、明治通り北側に沿って流れ、橋場の渡しの北で隅田川に合流していた。」

ここから推測するとこの青い部分が思川ですね。

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さらに地図の右手、東側に進んでいくと泪橋になります。

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まとめ

三ノ輪付近の荒川区と台東区の境は現在の地図で考えると不自然ではありますが、かつて流れていた音無川と思川が区境になっていると考えるとごくごく自然なことに感じます。現在は暗渠となっているので川を見ることはできませんが、以前はここに川があったのだと思いながら歩いてみると楽しいかもしれませんよ。

ちなみに、音無川の痕跡は現在でもあちこちに残っているので、こちらもぜひ探してみてください。
尾久橋通り沿いに残る音無川の痕跡~鶯橋(旧水鶏橋)~ | 荒川区のはなし

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