荒川区西尾久の佐藤病院に残る煉瓦塀 #地域ブログ #荒川区のはなし #荒川区

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東京さくらトラム(都電荒川線)の小台停留所から南側に進むと旧小台通りの細い道があります。そこを入ってすぐくらいのところ右側に煉瓦塀があります。

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周囲の建物は新しいのにこの煉瓦塀だけが古さを感じさせます。この煉瓦塀は奥に行くと右手に折れているのもわかるかと思います。

ここで佐藤病院の歴史を振り返ってみましょう。公式ウェブサイトによると次のような沿革が記載されていました。

・明治42年7月 佐藤病院創設
・大正7年9月 佐藤病院に改称
・昭和20年3月 東京大空襲により、病院建物は全焼
・昭和20年6月 佐藤診療所として再開
・昭和23年10月 佐藤病院に改称
・昭和45年7月 増改築工事完了 内科・外科 一般病棟97床

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明治の終わり頃に創設されているという長い長い歴史があるのですね。ここで古地図を3枚見てみたいと思います。全てスマートフォンアプリの東京時層地図からの引用です。まずは明治の終わり頃の地図です。

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上の方に東西に集落がありますが、ここが今の都電通りではありません。もうちょっと南側です。佐藤病院があるのは画面の中央ぐらいのはずですが、この地図でははっきりとここだというのはわかりません。

次に大正時代の地図です。

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路面電車の線路がありますね。この頃はまだ線路の北側に集落があるのがわかります。停留所から南側にも建物が増えてきました。1134とうい番地が佐藤病院だと思われます。

次は昭和の戦前期の地図です。

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これだと敷地がどの範囲なのかよくわかりますね。番地は1174です。戦争で全焼しているももの、その直後に再開しているので、おそらくこの境界に沿って煉瓦塀も作られたのでしょう。現在残っている煉瓦塀が途中で折れ曲がっていたのもこの地図の通りですよね。

ここで現在の煉瓦塀に戻ります。先程見たのは敷地の外側からでした。今度は敷地の内側からです。

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外側は平らにきれいに煉瓦が積まれていたけど、内側はややでこぼこしています。こちらがわは基本的に他者から見られるものではないのでこのような味のある積み方になっているのですかね。補強が入っているのもわかるかと思います。

荒川区内にはこのような煉瓦塀がいくつか現存していますが、気にしなければおそらく視界にも入ってこないと思われます。ちょっとした歴史を感じることができる貴重な文化財でもあると思いますので、ぜひ散歩の際に気をつけて見ていただきたいと思います。小台の停留所から徒歩ですぐのところですので、都電に乗って沿線散歩をする際にぜひ立ち寄ってみてください。

佐藤病院
東京都荒川区西尾久5-7-1

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この記事の筆者は徳富政樹(とくとみ)です。荒川区に生まれ育ちました。ブロガー、街歩き案内人、なんちゃってフォトグラファー。日本全国を旅しながら写真撮影をしています。マニアックな場所や美味しいもの、鉄道、井戸ポンプ、ネコが好きです。
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