かつて町屋と千住緑町を結んでいた隅田川の「一本松の渡し」がどこにあるのか探索してみた

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今日は荒川区の歴史シリーズのお話しです。古地図を眺めていると面白い発見があったりするものです。以前は西日暮里4丁目と5丁目の境が意外な場所にある理由について推理しました。
西日暮里4丁目と5丁目の境界には謎がある?古地図を眺めながらその秘密を解明してみた | 荒川区のはなし

今回は隅田川の渡し船についてです。かつて隅田川の対岸に行く主流は橋ではなく舟だったようです。荒川区内には水神の渡し、汐入の渡し、一本松の渡し、御茶屋の渡し(尾竹の渡し)、新渡し、熊野の渡し、小台の渡しなどがあったようです。このうちの一本松の渡しに注目してみます。いったいどこにこの渡し船があったのか古地図を眺めて、実際に現地に行って確かめてみました。

古地図から一本松の渡しを確認

これから3枚の地図をiPhoneアプリの東京時層地図から引用します。まずは昭和30年から35年の間の地図です。

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今から約60年前ですね。京成線の線路の北側に「一本松渡」と記されているのがわかるでしょうか。現在の荒川区町屋8丁目と足立区千住緑町3丁目を結んでいた渡し船です。

次は昭和3年から11年の間に作成された地図です。

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ここでは一本松渡ではなく京成渡になっていますが、場所は一緒です。京成線の近くということでこの当時はこのような呼ばれ方をしていたのでしょうかね。

次は大正5年から10年の間に作られた地図です。今から約100年前です。

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ここでは渡し船の表記はありません。これよりも以前の地図も同様です。渡し船の存在がなかったのか、それとも単に地図に記載されていないだけなのか。しかし、この地図には汐入の渡し、水神の渡し、新渡し、御茶屋の渡し、小台の渡しはしっかりと記載されているので、書かれていないということは本当になかったのかもしれません。今後さらなる調査をしてみます。

さて、現在はもちろん一本松の渡しは存在していませんが、グーグルマップには跡地のピンが立っています。

それでは実際にこの跡地に行ってみましょう。

「一本松」の名残

荒川区内には一本松という町名はありません。しかし、今でも「一本松」という名称はしっかりと残っています。まずは都営バスの一本松バス停です。

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尾竹橋通りにこのバス停があります。このすぐ近くには一本松眼科もあります。バス停から隅田川方面に住宅街にちょっと入ると一本松グリーンスポットがあります。

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三角形の公園のような、広場のような場所です。

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実はここには一本松があるのですよ。

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そのすぐ横に案内板がありました。

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江戸時代からここに一本松があったようですね。ただ、第二次世界大戦で枯死してしまったので、今ここにあるものは新しいものでしょう。

この案内板に記載されている寛文八年九月銘庚申塔がこちら。

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もう何が書かれているのかさっぱり読めません。寛文八年は1668年なので、今から353年前のお話しですね。まさかそんな古いものが荒川区内に残っているとは驚きです。

一本松の渡し跡に行ってみた

先程の一本松グリーンスポットから隅田川方面の東に向かってまっすぐ歩いていきます。すると隅田川の堤防にぶつかります。

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グーグルマップで確認しても確かにここが跡地です。もっと近づいてみましょう。

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何もありません。歴史的な場所のはずなのに案内板がないとは拍子抜けでした。でも、昭和の初期から中期にかけてはここから足立区に渡っていた人がきっとたくさんいたはずと想像してみました。このあたりに橋があると京成を使わずに町屋からポンテポルタ千住に行くのがものすごく楽ですよね。

ちょっと残念な思いを抱きつつ来た道を引き返してしばらく歩くと、左手に案内板発見!

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「この渡しは、現在の足立区千住緑町との間、約百四十メートルの距離を結ぶ。両岸の人々の暮らしに欠かせない重要な交通手段であった。
渡の名は、町屋一丁目の庚申塚の上に立つ一本松に由来する。
ここから東へ六十メートルほど行ったところが渡し場だった。」

実際の渡し場から60メートルも離れた場所に案内板があるとは想像していませんでいた。できれば先程の突き当りのところに置いて欲しいなあ。しかし、案内板があることで一本松の渡がここにあったということが忘れ去られないと安心できました。

ちなみに、このすぐ近くにもっと立派な碑があります。

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これは昭和10年に作られた土地区割整理記念碑です。一本松の渡とは全くの無関係ですね。

まとめ

今回は一本松の渡しを古地図で確認してから現地に行って現状の確認をしてみました。現存するものではありませんが、昭和の人々の交通手段がここにあったと考えるのはなかなか楽しいものがありました。

この他にも隅田川にはたくさんの渡し船がありましたので、他の渡しの跡地もぜひ確認に行きたいと思っています。尾竹橋の西側にあった新渡しについては以前レポートしたのでこちらもぜひ御覧ください。
明治から昭和にかけて隅田川の荒川区側と足立区側を結んでいた渡し船「新渡し」について | 荒川区のはなし






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この記事の筆者は徳富政樹(とくとみ)です。荒川区に生まれ育ちました。ブロガー、街歩き案内人、なんちゃってフォトグラファー。日本全国を旅しながら写真撮影をしています。マニアックな場所や美味しいもの、鉄道、井戸ポンプ、ネコが好きです。ステマはしません。商品紹介はアフィリエイトリンクである場合もあります。記事内の情報は記事執筆時のものです。正しい情報をお伝えする努力はしていますが、間違った内容もあるかもしれません。読者の方が紹介した店舗等に訪れた際の不利益、リンクやバナーなどで移動したサイトで提供される情報、サービス等について一切の責任を負いません。ご了承ください。
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