西日暮里4丁目と5丁目の境界には謎がある?古地図を眺めながらその秘密を解明してみた

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先日Twitterでフォロワーの方から面白い情報を教えてもらいました。どうやら荒川区西日暮里5丁目にはまるで飛び地になっているような場所があるらしいのです。今回はその謎について古地図を眺めながら考察してみたレポートになります。

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西日暮里5丁目の範囲

まずは荒川区西日暮里5丁目の範囲を確認してみましょう。こちらの地図を御覧ください。

赤い線で囲まれているのが西日暮里5丁目です。道や線路が他の丁目との境界となっているのですが、北西のところにちょっとおかしな部分があるのです。そこを拡大したのがこちら。

西側の境目は線路なのですが、一部線路よりも西側が5丁目になっているのがわかるでしょうか。わかりやすく線などを入れてみます。

赤で囲んだところがまるで飛び地のようになっています。

現地で4丁目と5丁目の境界を確認

まずはJR西日暮里駅を出たすぐのところです。

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右手の線路は西日暮里5丁目で、道路を挟んだ左手の高台は西日暮里4丁目です。

この背後も確認してみましょう。

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左手の線路が5丁目で、道路を挟んで右手が3丁目です。

今回のテーマであるおかしな境界は5丁目と4丁目の間です。最初の写真で線路と高台に挟まれた道を進んでみます。

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高台の上へと続く坂道になっています。左手にあるビルは4丁目です。ちなみに、この道を上ってまっすぐ進むと田端駅に出ます。

さらに進むと左手にビルが2つ並んでいるのが見えてきます。

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手前にあるちょっと古めのビルは4丁目です。しかし、右側にある新し目のこちらのビル。

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この建物があるのが何と5丁目なのです。線路の西側にあるのですから、両方のビルとも4丁目であってもいいものですよね。しかし、現実には片方が4丁目で、もう片方が5丁目なのです。

もう少し先に進んでみます。

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この写真は今までとは反対方向を向いています。左手が線路で、右手が高台ですね。中央奥にあるビルが先程確認した5丁目にある建物です。そこから手前方向に崖があります。この崖の部分も5丁目です。この坂道のさらに一段上の高台の上にも道があるのでそちらに移動してみましょう。

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先程の崖のところにある電柱には確かに西日暮里5丁目である表記があります。この細い道の右手ある建物には4丁目の表記です。

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4丁目と5丁目の境は線路かと思いきや、ここだけが5丁目の飛び地のようなものになっていますね。ここでもう一度地図を見てみましょう。

赤で囲んだ部分が線路の西側になぜかある西日暮里5丁目です。

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古地図を眺めて推理してみた

現在の地図を見たり、現地で確認してもなぜ5丁目が線路の西に飛び出しているのかさっぱりわかりません。そんな時は古い地図を眺めてみるとヒントが隠れたりしているものです。今回引用するのはiPhoneアプリの東京時層地図からのものです。

まずは今から約35年前の地図です。

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この頃には道路は現在とほぼ同じ状況です。なので、ここからは謎は解明できません。

次に約65年前の地図です。

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ここでも先程確認した西日暮里駅を出たところから高台に続く坂道があります。あ、この頃には西日暮里駅はありませんからね。開業したのは1971年4月20日です。この地図でもまだ謎は解けませんでした。

次は約90年前、昭和戦前期の地図です。

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ここでおかしなものがあることに気が付きました。一番右手にあるのが東北本線の線路です。そのすぐ隣から山手線の内側にある高台に続く跨線橋があるのですよ。もちろん現在はこの橋はありません。この跨線橋の存在によって、謎の解明に一歩近づいた感じがしました。

次は約105年前、関東大震災の直前の地図です。

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この時代には跨線橋はありませんんが、戦前期に橋があった部分が道になっているのがわかるのではないでしょうか。線路を越えるところはおそらく踏切でしょう。線路の西側に出たら坂道となって高台に上ることができたのだと思います。そして現在線路脇にある道がありません。高台を切り崩して道灌山通りを作った時にできたのではないかと思います。ここで四丁目と5丁目の境目が生まれた謎の答えはほぼ見えました。

次は約115年目、明治の終わり頃の地図です。

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大正時代と同じように線路を超えて高台に続く道があります。

最後は約145年目、明治初期の地図です。

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この頃はまだ線路はありません。しかし、これまで見てきたような高台へと続く道が全く同じ場所にあるのがわかることでしょう。

そう、今はもう存在していないこの道を現在の地図に照らし合わせて考えてみると、現在線路の西側にある西日暮里5丁目の存在とぴったり合わさるのではないかと思うのですよ。

つまりこんな感じで昔は道があったのではないでしょうか。

現在の写真を見てみます。

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左手の古いビルがある場所に昔の高台へと続く道があり、この道が町の境だったと考えると、右手にある新しめのビルあたりが西日暮里5丁目であることに合点が行くのです。

現在の地図を見ただけでは西日暮里5丁目の範囲に違和感がありますが、古地図に記載されていて現在はもうない道を考慮に入れると4丁目と5丁目の境がここにあるのがごく自然なことに思えるのです。現在の境である線路を基準に考えてはいけません。おそらく江戸時代、そして明治初期の鉄道がなかったころの町の境目だった道の存在が今回の謎の解答だと思います。これは現代に残る道の記憶と言ってもいいのではないでしょうか。

今回の考察はあくまで筆者の推測ではありますが、おそらく正解に近いものではないかと思っています。皆さんも西日暮里駅付近を歩く際は、西日暮里4丁目と5丁目の境をぜひ意識してみてください。大正時代までは確実にあった線路の東側から西側に抜けて高台へと続く道が薄っすらと見えてくることと思いますよ。

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