小学生の頃、おぐぎんざ商店街にある南進堂書店によく文房具を買いに行っていました。その時にいつも気になっていたのが向かい側のビルに入っている映画館でした。それが尾久セントラル劇場です。 現在建物の1階にはグルメシティ東尾久
続きを読む「ヲ」が9つで「ヲク」!荒川区西尾久2丁目の八幡児童遊園脇にあるマンホールの蓋は必見
普段足元を見ながら歩かないのでなかなかマンホールの蓋には目がいきません。でも荒川区西尾久に行く際はぜひ見ていただきたいものがあります。それがこちら。 しかし、これを見ただけでは何が特別なものなのかはきっとわからないかと思
続きを読むかつてはっぴーもーる熊野前商店街の入口にあった木造建築の薬屋さん
今日は荒川区内で撮影した古い写真を紹介します。古いと言っても撮影日は2008年9月20日のことです。11年前でも現在とは全く異なる姿がそこにあります。その写真がこちら。 はっぴーもーる熊野前商店街の都電側の入り口にはこの
続きを読む明治から昭和にかけて隅田川の荒川区側と足立区側を結んでいた渡し船「新渡し」について
荒川区町屋5丁目の隅田川沿いの道を歩いていたら不思議な案内板を見つけました。 この案内板があるのはまちや明生苑のすぐ近くです。地図で確認してみましょう。 隅田川沿いと言ってもちょっと南側の道です。さて、先程の案内板には次
続きを読む荒川区西尾久の佐藤病院に残る煉瓦塀
東京さくらトラム(都電荒川線)の小台停留場から南側に進むと旧小台通りの細い道があります。そこを入ってすぐくらいのところ右側に煉瓦塀があります。 周囲の建物は新しいのにこの煉瓦塀だけが古さを感じさせます。この煉瓦塀は奥に行
続きを読むかつて荒川区内にあった映画館、日暮里金美館を見に行こう
※参考記事(2020年2月21日追記) →かつての日暮里金美館がカフェバー銀幕に生まれ変わった!令和の時代に昭和の雰囲気を楽しもう JR常磐線三河島駅の近くを歩いているとコープがありました。しかし、よく見てみると「日暮
続きを読む古地図を見ながら振り返る、あらかわ遊園の近くに残る煉瓦塀の謎
あらかわ遊園の近くを歩いていると煉瓦塀が続いている一角があります。こんな感じで。 今回はこの煉瓦塀の謎に迫ってみました。 荒川区西尾久6丁目に残る煉瓦塀 その煉瓦塀は唐突に現れます。 煉瓦塀の向こうは何か特別な施設がある
続きを読む満光寺から隅田川に流れていた江川堀跡の散策完全ガイド
かつて荒川区の東尾久の満光寺あたりから隅田川へ流れ注いでいた江川堀という水路がありました。昭和30年台に暗渠となったようで、現在は水路としての姿はもうありません。しかし、どこに江川堀が流れていて、そして現在はどんな様子な
続きを読む常磐貨物線日暮里八丁目2号踏切の名前の由来と実際に貨物列車が通る様子(動画あり)
西日暮里駅付近を歩く時に楽しみにしている場所があります。それが常磐貨物線です。田端から三河島駅に抜ける路線がその貨物線です。その間に踏切が5つありまして、そこを通る度に貨物が通らないかなって思っています。まあ急いでいる時
続きを読む同潤会三ノ輪アパート 取り壊し直前の記録写真
今日は懐かしの写真を紹介しようと思います。かつて荒川区東日暮里2丁目にあった同潤会三ノ輪アパートです。 昭和3年(1928年)に建てられ、平成21年(2009年)に取り壊しとなったアパートです。青山や代官山などにもあった
続きを読む江戸時代の風景に思いを馳せながら千住大橋を渡ってみた
荒川区内では白鬚橋、水神大橋、千住汐入大橋、千住大橋、尾竹橋、尾久橋、小台橋の7本の人が渡れる橋が隅田川に架かっています。今回はそのうちの千住大橋を歩いてきました。荒川区側から足立区へと向かってみます。こちらが橋の入口で
続きを読む京成線の日暮里駅と新三河島駅の間にかつてあったという「道灌山通」駅の痕跡を探してみた
京成線の日暮里駅と新三河島駅の間にかつて道灌山通駅があったそうです。昭和9年(1934年)に開業し、昭和18年(1943年)に休止となり、昭和22年(1947年)に廃止となりました。休止となってからはもう70年以上経って
続きを読む尾竹橋通りに残る荒木田新橋の遺構を発見!同時に江川堀の暗渠もちょこっと探索してみた
町屋駅から隅田川方面へ尾竹橋通りを歩いている時に道の両側に橋の遺構らしきものがありました。 近づいてよく見てみましょう。 やっぱり橋の親柱ですね。橋の名前は、、、 うーん、判別が難しい。ネットで調べてみると「荒木田新橋」
続きを読む